死後生命を40年間探求して、ようやくでた結論。
彼は長年臨死体験、催眠による過去生、死者と再開できる部屋「サイコマンテウム」、臨死共有体験と研究を重ねてきました。
彼に対していつも質問される事は「死後生命はあると思いますか」です。
彼は長年それはあるとは思いますが、それを確定できる事はまだ出来ません。と言い続けてきました。
例えば同じ臨死体験を研究する、キュプラー ロスさんは直ぐに死後生命はあると本で発表しました。
彼女はムーディーさんにも死後生命の確定を迫ります。
ムーディーさんはそれでも確定はしませんでした。
臨死体験には大きな反論があります。
つまり、生き返ったわけですから、その間脳は生きてたわけです。
その脳が見た脳内現象であるという指摘です。
これはもっともな指摘です。
生き返ったということは死んで無いということです。
これを無視して、死後生命はあると確定すると、永遠に解決できない論争になってしまいます。
これではより多くの人にこの現象を理解してもらい、また研究をスタートさせることは出来ません。
普通はキュプラーロスさんのように飛躍して確定して本を出してしまいます。
本としてはこれの方が売れるのです。
ほとんどの人は飛躍して結論に飛びつきます。
そして他の意見の人と猛烈に戦います。
これの方が楽なんです。
しかしこの楽な道を選ぶと、その説は一部の人達に熱狂的に受け入れるられて、それでおしまいです。
多くの方々はそれに乗ることは出来ません。
もっと悪い事はそれについて語る事が難しくなるのです。
つまり、この飛躍して結論に走る人々は、かえってそれに対する研究の妨げにさえなってくる可能性まであります。
この飛躍して結論を出す人のおかげで、死後生命の研究は遅れました。
その中でムーディーさんはじっとこらえて、ひたすら研究を続けてきたわけです。
これは大変困難な事なのです。
げたは超常現象が好きなので年末にテレビでやる超常現象の番組を良く見ます。
これを見たことがある人はよく分かると思いますが。超常現象賛成派のたま出版の社長と、反対派の大槻教授がやたらしゃべります。
詰まりこの二人の極端な意見の方がテレビ局の好みであります。
この二人は両極端にいるわけではありません。
同じ位置に立ってます。
詰まり片方は何でも簡単に信じてしまう。
もう片方は絶対に信じない。
これは両方ともその現象を真面目に探求しようとしていないところで同じなのです。
この方達が日本の超常現象を真面目に研究するのにどれだけマイナスになったかは計り知れないものがあります。
40年死後生命の確定をしなかったムーディーさんがついに死後生命を認めました。
これは、彼のお母さんが亡くなる時に起こった現象が始まりでした。
彼のお母さんが亡くなる時に親族6人がお母さんの周りで手をつないで見守っていたときです。
それまで2日間昏睡状態だったお母さんの意識が回復して「皆をとても愛している」と言った時に部屋全体が変形したように思ったそうです。
6人中4人までが自分が引き上げられて浮遊しているように感じたと言ってます。
ムーディーさんも引き潮のような強い力で上方へ引っ張られるのを感じたそうです。
そのときに親族の一人が「お父さんがお母さんを迎えに来ている」とベッドの方を指差しながら言いました。
さらにそこにいた全員が、部屋の光がソフトでぼやけた感じになったと証言しています。
それは、夜の水泳プールに映った光を見るような感じだったそうです。
義理の兄弟は「私は自分の肉体が上げられ、母と共に別次元に行ったように感じた。」と語っています。
それからムーディーさんは臨死共有体験の研究をします。
臨死共有体験自体はすでに19世紀から研究されていたそうです。
しかし現在までこの臨死共有体験は一般には認められていません。
そうです、当時の人々もこれを真面目に捉えませんでした。
詰まり一部の変な人達が言ってる事で、信じることは出来ないと結論を出したのでしょう。
その現象について地道に研究した人はいないみたいです。
もちろん居たのかも知れませんが、それは表には出なかったのです。
これは支配する側の影響もあるのかもしれませんが、たぶんにこれを発表した人々の自滅でしょう。
さて、臨死共有体験であります。
これらの事は全部起こるわけではないのですが多くの事例で起こります。
もう一つは臨死体験でも起こる、トンネルを潜り抜ける体験、明るく神秘的な光を見る、対外離脱、体験後に人生が変わるなどは臨死体験と同じ現象も起こりますが、これからのことは臨死共有体験の事例のみに起こることです。
少しお休みします。
第一に神秘的な音楽が聞こえる。